気まぐれ日記 2017年12月

2017年11月はここ

12月1日(金)「外回りを一気に・・・の風さん」
 6時半起床。寒さはそれほどでないので助かる。
 ワイフを送った帰りに、郵便物を5通投函。レターパックとスマートレターだ。送るものがかなり減った。
 朝食はホットミルク。それからスープにパンを浸して食べた。
 今、一番気になるのは短編小説だが、始めると集中しなければならない。そのためには、あと少し雑務を減らしておく必要がある。
 思い切って外出した。図書館へ行き、『トヨタ流品質管理に学ぶ! はじめての変化点管理』を2冊、寄贈した。寄贈というとカッコいいが、何のことはない、自分の痕跡をしっかり保管していただくのだ。増えれば増えるほど、重みを増していく。重量の話ではない。
 続いて、心月斎へ。前の住職さんが本好きなので、贈呈しがいがある。こちらも図書館と似た状況だ。お墓があるのもつながりを強くしている。来年は母の七回忌なのでよろしく、とお願いもしてきた。干支の常滑焼をいただいたが、窯元が高齢で、シリーズが途切れたという。私はすぐそういうことで感傷にふけるが、禅宗の姿勢は恬淡としている。
 帰宅し、また朝食と同じメニューで昼食。
 40年近く利用している理容店へ行った。片道1時間かかっても、この習慣はやめられない。
 帰りにスーパーで買い物して帰宅。もう日が沈んで真っ暗である。
 1日3回薬を飲むようになって、いくらか左顎の痛みがやわらいでいる。自分的には、顎の筋肉の緊張をできるだけ避けるようにしてもいる。
 これだけ複合した体調不良になっていると、いくつかの不良は基本的に忘れている。一番は左の五十肩だ。二番は十二指腸潰瘍か。これはもともと自覚症状がない。今日は終日花粉症がひどく、うっとうしかった。

12月2日(土)「薬の副作用から腰痛まで・・・の風さん」
 当初、キャメロンで出かける予定だった。伊豆を経由して笠間まで。諸般の事情により中止。結果として良かったかも。
 昨日に続いて体調不良だ。花粉症がひどいまま。大量に薬を服用しているので、鈍感になって、花粉症の薬を追加した。
 朝食はホットミルクとコーンポタージュスープ。
 今日から少しずつ身辺整理も始めることにした。
 午前中の雑務をしている間に、猛烈に眠くなってきた。確かに陽気もいいし、室内も快適だが……。
 短時間だが爆睡してしまった。花粉症の薬は体がだるくなるので、それとの副作用か。
 昼食は、チーズリゾットとコーヒー。少量でも食事した気分になった。
 午後からさあ仕事と思って書斎に入ったが、また爆睡。薬の副作用はまだ続いている。目覚めたら、腰が痛い。おおい、今度は腰痛かよ。
 昨日やってしまう予定でできなかった、来週の講義の準備に取り掛かった。
 これは順調に終えることができた。昨年の財産があると楽だ。
 夕食までには薬の副作用は消えたが、腰痛がひどくなってきた。読書しながらやり過ごそうとするが、敵は手強い。
 夕食は友人が送ってくれたきりたんぽと、これまた友人からもらったいちじくのお菓子。いくらか左顎の痛みが引いているので、秋田の味覚を楽しむことができるようになった。
 読みかけの本を読み終えた。今年やっと24冊目だ。

12月3日(日)「とうとうコルセット・・・の風さん」
 朝から快晴。さあ、今日から執筆だ……と思いつつ、腰痛が気になる。書斎の床に落ちていたコルセットを拾い上げて装着(笑)。少しは楽になる。
 左顎の痛みが和らいでいるので、ワイフの助言にしたがって、パンをホットミルクでふやかして食べてみた。これなら大丈夫。朝食の問題はなくなりそうだ。
 相変わらず気合が入らないので、たまった名刺の整理をした。スキャナーで読み込んでおくのである。その後、現物はフォルダーに。しかし、もういっぱいなので、2011年ころの名刺と入れ替えて行く。
 昼食はあまり食べる気にならない。
 1か月前の兄夫婦が墓参に来た時の決算書を作成した。これはすぐできた。
 今日も読みかけの本を1冊読了した。通算25冊目。年内に30冊に届くだろうか。
 晩ご飯は、昨夜残った出汁を利用した雑炊だった。ぜいたくな味。ただし、比内鶏はワイフに食べてもらった。
 夕食後、気になっていた知人へメールを何通か出した。
 就寝前に、やっと執筆の準備ということで、資料を再読してみた。新たな資料はほとんど必要ない。問題は、感動的なストーリーだ。いつもの閃きがまだない。小説の神様の御光臨というやつだ。
 今日は寝るまでコルセットのお世話になった。

12月4日(月)「マスクを装着して大発見・・・の風さん」
 さあ、今日は執筆に取り掛かれるだろうか……、その前にもやることはある。
 午前中ワイフが出かけている間に hairdye をしながら雑務。その後、コルセットを装着し、さらに花粉症が心配だったので、マスクもした。完全武装だ。
 昼食はお好み焼き。何とか食べられるようになったのは、顎の筋肉の凝りをほぐす薬をしっかり飲むようになったせいだろう。
 ワイフのアクアがガス欠近くなったので、灯油を購入するついでに給油に行ってきた。
 実は、私にとって、クルマの運転はアイデアが生まれるエンジンみたいなものだ。その期待もあったのだが、往復約20キロの走行で効果はなかった。ワイフいわく「キャメロンでないと鞍上の効果がないのね」。
 しかし、マスクをしながら運転していて、一つの発見があった。顎の筋肉を緊張させる原因を見つけたのだ。何でもない時にも、口元を引き締める癖がついていたのだ。マスクのお蔭と運転中だったので、それに気が付いた。
 情けない話だが、これから口元をゆるめる(だらしない)表情を心がけねばならない。
 短編小説のアイデアが浮かぶように、その後、あれこれと試みた。
 しかし、だめだった。
 就寝前のベッドの中で、また1冊読了した。通算26冊目になった。何とか年内に30冊に到達したい。

12月5日(火)「歩く電気屋さん出動・・・の風さん」
 今日はリハビリだけでなく、8週間に1度の内科も受診。最近の体調不良(十二指腸潰瘍と左顎の痛み)をすべて報告し、寒くなってきたので血圧が高めだと言ったら、とうとう降圧剤が1種類追加された。薬漬けの日々だと訴えたがだめだった。
 ワイフが流しが暗くて困ると言うので、とうとう「歩く電気屋」は立ち上がることになった(こういう忙しい時に)。
 クリニック近くのホームセンターに気に入った機器がなかったので、いったん帰宅。途中、JAで花の苗をもらった。
 パンとホットミルクで軽く済ませて、常滑のホームセンターへ行った。値段は高かったが、決断は早かった。私には時間がないのだ。
 帰宅してすぐ作業開始。充電していた電動ドリルもスタンバイ状態だ。
 今回の電灯の交換は、単に蛍光灯(本体が故障している)からLEDに変更するだけではなかった。どうせなら、お洒落なタイプにしたいという私のこだわりがあった。しかし、もう一つ厄介な問題があった。元々コンセント接続でないことだ。つまり法的には電気工事士の資格がないとやってはいけない作業をともなうのだ。
 詳しく書くと禍根を残しかねないので、あっさりと書くが、ブレーカーで台所周辺の電源を落として工事をした。これまでタイルの壁に直付けだったが、新たな穴を明けるのはやめて、上の物入れの底面(ここは木製)にタッピングスクリュー固定にした。電動ドリルが役立った。
 点灯のONとOFFの切り替えは、メインスイッチでなく、手をかざすことでおこなう。「歩く電気屋」としては、こだわりの工事を完成させることができ、大いに満足した。
 短編小説の執筆は、結局、急がば回れになった。主人公の行動を丹念に追跡するのである。やはり、これが私の執筆スタイルかもしれない。
 一方、日曜日の講演スライドの作成も少しだけやった。一気にはできないので、少しずつやっていくことにする。

12月6日(水)「今日は名古屋へ・・・の風さん」
 2週間ぶりの非常勤講義である。幸い天気が好いので、元気に出発。
 本山に着いてすぐ、百均ショップに行ったが目的の品物がなかった。続いて、ATMでお金をおろした。この辺は色々な施設があるので便利だ。
 今日の講義は昨年に続いて、ほとんど講演スタイルだった。途中で何度か学生に質問を投げかけたりしながら進めたが、最後までたどり着けなかった。レポートを受け取ったので、来週には採点して返却しなければならない。
 帰りに名駅で買い物をした。東急ハンズでも目的の品物がなく、続けてゲートタワーに行き、ウィークデーは女性客ばかりだなと思いつつ、やっと帰りの電車に乗った。
 寄り道していたので、帰宅は5時になってしまった。
 さすがに夕食後、疲労が出てきたので、気合を入れて、10日の講演スライド作成の続きをし、和算研究家へ郵送するスマートレターを1通作成し、何とかアウトプットを稼いだ。
 最後に、短編小説の続きをやったが、まだ準備に時間がかかる。

12月7日(木)「雑務をこなしながら執筆準備・・・の風さん」
 たっぷり寝て起床。左顎の痛みが少しずつ和らいでいる。薬の効果もあるが、口元を引き締める癖をなくすように心がけているのが効いている気がする。
 今日も快晴で、ほとんど風もない。屋外タンクに灯油を補給しておいた。
 10日の近畿和算ゼミで配りたい資料があったので、とりあえず1種類だけ印刷した。まだある。
 10日は京都の中井先生をゼミで紹介するので、合流ポイントを考えてメールした。
 昨日に続いて、短編小説の舞台を丹念に調べている。江戸時代の中でも文化文政のころで、主人公がたどった道筋を、色々と想像しながらより正しく具体的にしていく作業だ。時間がかかるが、これが自分流なのかもしれない。
 夕方、ワイフの上京スケジュールが復活した。トールの見学とセミナー受講を希望していたのが、応募枠を超えていてキャンセル待ちになっていたのが、受講可能になったのである。私も用事がたくさんあれば同行するのだが、今回はワイフが日帰りのハードスケジュールを組むことになった。細かな移動計画の立案は、私にとって朝飯前なので、代行した。
 今日もスマートレターを1通用意した。

12月8日(金)「悪戦苦闘が続く・・・の風さん」
 朝から今にも降り出しそうな曇り空。
 短編小説で苦しんでいても、他の用事まで停滞させてはいけない。
 ワイフを駅まで送った帰りに、昨日までに用意したスマートレターを2通投函した。
 近所の産直の売り場へ行ってみかんを購入し、秋田の友人へ送った。もらってばかりで、なかなかお返しができない。
 そのままGSへ向かい、プリカをチャージしてアクアに満タン給油。イベントが始まったので、やって来たのだ。
 朝のひと仕事を終えて、ふとリビングのちび助を見ると、いかにも寒そうだ。日が差さないので、サンルームは暖かくない。それでも今日は、終日石油温風ヒーターはオフだろう。1階に人はいないのだから。
 2階からペット用の電気カーペット(小さいやつ)を持って来た。タオルでくるみ、安全ピンを12個使用して外れないようにした。これで階下の心配もなくなった。
 集中力を切らさないで仕事をするために、やることを変えながら仕事を続けた。
 主な仕事は、短編小説、日曜日の講演、来週の非常勤講義である。
 久しぶりに昼食にインスタントラーメンを食べた。左顎の痛みがさらにやわらいでいる。やはり口元を引き締める癖をやめる努力が効果があるみたいだ。マスクをしていると、つい口元を引き締めてしまうのが分かるので、重要な対策だ。
 和算研究者へ送るDVDを2つ作った。
 すべての仕事が大詰めを迎えている。

12月9日(土)「走りながら考える・・・の風さん」
 ゆっくり起床。
 なるべく雑務をせずに1日を過ごすことに決めた。しかし、こういう日に限って天気は穏やかで、のんびりどこかへ出かけたくなる……が、できない。
 全体のしっかりした構成はできていないが、とにかく短編の執筆を始めてみた。とうとう「走りながら考える」という、あまりほめられない仕事の進め方になってしまった。
 この作業を、晩ご飯時まで続けてみた。すいすい書けたわけではないが、前進はした。
 あとは、明日の準備である。1年ぶりの大阪になるのかな。
 講演スライドのぜい肉を落とし、MacBookAirに入れて、音も確認した。
 販売用の書籍も持参するので、キャリーバッグに詰め込んだ。MacBookAirや配布資料などまで入らず、トートバッグに入れることにした。例によって荷物がいっぱいだ。
 早めに就寝することにした。

12月10日(日)「豚饅買いに大阪へ・・・の風さん」
 スマートレターを2通投函してから駅へ向かった。気温が低く、とても寒く感じる。
 名古屋で新幹線に乗り継いで、のぞみで新大阪へ。のぞみの車中で「がまの油売りの口上」の暗記に挑戦した。今日の金和算ゼミでの講演タイトルは「和算小説家はつらいよ 〜今年をふりかえって〜」なので、フーテンの寅さんならぬ鳴海風てんの口上から始めたらきっと盛り上がるだろうと思ったからだ。
 そもそも暗記は嫌いだし不得意だが、ボケ老人になってきているので、敢えて挑戦が必要ではないかと近年思うようになっている。
 新大阪に着くと、ここも多くの人でごった返している。日曜日だし、ユニバーサルスタジオに行く人も多いようだ。
 大阪駅前第3ビルの地下入り口付近で中井先生と合流した。先生をゼミに紹介するのも、今日の目的の一つだった。
 コロッケのランチを食べながら下打ち合わせをして会場に行った。
 だいたい昨年と同じようなメンバーがそろった。
 中井先生に自己紹介を兼ねたプレゼンを30分間してもらい、続けて、鳴海風てんの講演となったが、のぞみ車中で暗記したはずの口上をほとんど忘れてしまったので、挑戦は断念した。Bluetoothスピーカーの具合は今日も悪かった。どうも役に立たないなこいつ。
 1時間半後の本の即売会は好評だった。
 その後、年末恒例の茶話会になった。色々な人たちが集まっているので、話が面白い。
 タイムリミットの5時になったので、失礼して家路についた。
 新大阪駅で、これも今日の目的の一つだった豚饅と、おまけでシュウマイ、餃子も購入した。
 少し早いのぞみに変更できそうだったので、iPhoneでエクスプレス予約から6分早いのぞみに変更してみた。
 しかし、乗車して名古屋の接続を確認すると、電車がなく、30分間の空白となってしまった。
 せっかくなので、名駅で東急ハンズに寄ってみたが、目的の品物はなかった。
 予定通り8時に帰宅でき、晩ご飯は豚饅となった。

12月11日(月)「とうとう徹夜態勢・・・の風さん」
 飛蚊症が気になるワイフを、キャメロンで眼科まで送った。私自身の経験もあり、心配ないと思っているが、本人は初めてのことらしく憂鬱そうだった。帰りに、キャメロンに満タン給油して帰宅した。
 昼過ぎに検査を終えたワイフが帰ってきたので、駅まで迎えに行き、そのまま近くのレストランにランチをしに行った。
 やはりワイフの飛蚊症は深刻なものではなかった。よかったよかった。
 私も落ち着いて夕食まで短編執筆に取り組むことができた。
 夕食後は、非常勤講義のレポートの採点をし、続けて、金曜日のワークショップの準備に取り掛かった。この準備は何が何でも終えてしまわないと、後がつかえている。
 結局、当日配布用テキストと資料、さらに事前送付用データをすべてそろえて事務局に送ったのは午前4時近くで、就寝は4時半になった。

12月12日(火)「今日も半徹夜態勢・・・の風さん」
 10時半起床。ということは睡眠時間は約6時間。けっこう寝れたわけか(笑)。
 山本先生からの暖かいメールに返信しようと、あれこれ考え過ぎて、返信はしたものの随分と時間がかかってしまった。
 朝が遅かったので、ランチはパスしてキャメロンで出発。歯医者へ行くのだが、朝食後の歯磨きを忘れたことに途中で気が付き、コンビニで歯ブラシを購入した。
 歯医者に着いてすぐそれで歯磨きした(笑)。
 やっと右奥歯にかぶせが完了。これで痛い左顎の負担を減らすことができる。
 往復1時間かけて帰宅した。
 夕食後は、先ず明日の講義の準備だ。昨年の元資料はあるが、復習が必要だ。実は、内容は品質管理である。しっかり勉強し直しているうちに、先月出版した『トヨタ流品質管理に学ぶ! はじめての変化点管理』の本の内容に、若干ミスがあることが分かった。増刷時に訂正しなければ……(実は増刷をすごく期待している)。
 講義の準備が終わってすぐ、今度は、土曜日の講演の準備だ。明日中にレジュメを送付する約束だが、レジュメを作成するためには、講演スライドがだいたいできていないといけない。
 レジュメまでは手がつけられなかったが、講演スライドがかなり整ったところで、午前3時半になってしまった。
 結局、就寝は午前4時10分ごろだった。これじゃ、昨夜とほとんど同じ。

12月13日(水)「3日連続の未明就寝・・・の風さん」
 8時50分起床。フルタイムの現役にはもう戻れないな(当然だが)。
 今日は非常勤講義のある日だ。10時にキャメロンで出発。途中駅にとめて、そこから電車と地下鉄を乗り継ぐ。
 本山のJPで用意してあったレターパックとスマートレターを投函。講義もカウントダウンに入ったので、よく利用してきた食堂に入って昼食を摂った。
 先週話せなかった部分があったので、今日の講義は密度が高かった。それでも、途中で名簿順に学生に質問しながら講義を進めた。最後に採点したレポートを返却して終了。
 JMAの人と打ち合わせ小約束をしていたので、名駅へ向かった。
 待ち合わせ場所は、何度か利用しているゲートタワー8階の三省堂内ブックカフェ。
 来年の講演について、私ができるかどうかの相談だった。1時間みっちり話し合ったが、最初提案があった時とだいぶイメージが違ってきた。今日は結論を出さず、JMA側でさらに内容を検討してくれることになった。
 帰りにGSで灯油を購入したついでに自動洗車もした。土曜日に岐阜大学まで行くので、汚れたキャメロンではちょっと冴えないから。
 土曜日の講演レジュメを今夜中に送付する約束だった。講演スライドの構成がまだ流動的だったので、そこから着手した。
 晩ご飯は自分で昨夜のおでんを温めて食べた。中学の同級生が作った秋田米のご飯が美味しくて、ついお代わりをしてしまった。
 ワイフが帰宅した後も講演スライドの作成作業が続き、午前零時過ぎからは、レジュメの作成(A4で2枚)に専念した。
 やっと送付を完了したのは、午前3時過ぎだった。風呂で体をあたためたので、就寝はまた4時を少し過ぎてしまった。

12月14日(木)「講演の準備はほぼ終了・・・の風さん」
 9時起床。なので、睡眠時間は5時間弱か。
 リハビリ(電気治療含む)のため、半そでTシャツを着て、その上にジャンバーを羽織っただけで出発。冷え込んでいたり、風雨が強かったりすると困るが、幸い、好天だ。
 PTに「自主トレしていないので、あまり改善していないので申し訳ない」といった言い訳をしつつ「左顎の方は少しずつ治ってきた気がする」と余計な報告(笑)。
 帰りにホームセンターで買い物をし、山越えルートで帰宅。ナビに明後日の講演場所を入力してみた。約100kmで、所要時間は2時間と出た。3時間前に出発することにした。
 今日も昼食にインスタントラーメンを食べることができた。左顎の痛みがやわらいでいるので、こうして食べられる。
 明日、明後日と講演が続くので、どのように準備するか、よく考えた結果、明後日の講演の準備を完了させることに決定した。
 何しろ60分という短い講演時間で、聴講者は一般の人たち(数学者や技術者ばかりというわけではない)なので、相当にコンパクトなわかりやすい内容にしなければならないのだ。私にとってはチャレンジになる。
 結局、晩ご飯時まで悩みに悩んで、やさしい構成にした。これで、明日の夜やることはわずかになる。
 晩ご飯の後は、明日の講演の準備である。だいたいできているが、MacBookAirにデータを移して、動作確認というか調整をした。
 今夜は早く寝たかったが、就寝は午前3時頃になってしまった。今週は半徹夜の週になっている。

12月15日(金)「ワークショップで講演・・・の風さん」
 7時起床。眠い。ワイフに駅まで送ってもらい、8時21分発の電車で名古屋へ。今日は、JMAの生産技術者ワークショップで講義(講演)だった。
 2時間たっぷり講義をし、30分間の質疑応答をしたが、なぜかあまり質問が出なかった。内容が彼らのニーズに会わないのかもしれない。老兵は、いつまでも価値ある情報を持っていると思わない方がいい。だから、常に引き際というか過去と決別すべきタイミングを見計らっているのだが、なかなか難しい。恐らく未練があるからだろう。
 昼食後は、彼らのディスカッションを横で聞きながら、ときどき意見を言った。議論がときどき噛み合わなくなるからだ。おそらく、それぞれが持っている知識や経験、立場の認識、そういったものに差や違いがあるのだ。
 昨年までのグループ研究だと、こういった状況は問題だが、今年度は個人発表がゴールなので、最後の到達レベルは自己責任ということになる。
 5時過ぎまで参加し、電車で家路についた。
 今日は朝から快晴だったし、風もほとんどなく、駅から家まで歩くのも楽だった。
 一人で晩御飯を食べ、9時半に帰ってきたワイフを今度は私が駅まで迎えに行き、明日の準備をして、午前零時にベッドに倒れ込むようにして就寝した。寝不足と疲労がかなりたまっている。

12月16日(土)「今年最後の重要な講演・・・の風さん」
 6時起床。さすがに外は暗く夜の底にある。こういうのは苦手だ。
 服装でちょっと迷っていたが、いつものスーツにした。男は楽だな。予定通り7時にキャメロンで出発。
 知多半島道路、名古屋高速、名神から東海北陸道と順調に走行した。富山に行くときのコースだ。
 川島PAで休憩した。今年最後の講演に向けて、気持ち的には充実していた。
 目的地の岐阜大学に来るのは二度目だと思う。一度目は学会発表で、大野先生や田村先生も発表された。会社の同僚もいて驚いたものだ。あれから10年近い年月が経過している。大切に生きてきた人生だから、どの時点も力いっぱいの取り組みだった。今日もそうである。
 岐阜大学フェアの中で、私の特別講演はまさに特別で、重要な位置付けになっていた。開会式の直後のプログラムで、学外からのお客様を呼び込む先鋒役である。広い講堂は、私にはぜいたくな場の設定だったが、そういうことだったのだ。実は、会場に入るまで、それだけの認識がなかった。しかし、万全の準備が、私をうろたえさせることはなかった。
 講演開始前に学長と短くご挨拶を交わし、壇上でMacBookAirの準備をしたが、素早くできた。
 時間も1時間で終了させることができ、後片付けしているときに、持参した和算書を見てもらったりした。たまたま今回の講演があることを知って2人の方が駆けつけてくださったのも嬉しかった。
 講演後は、別室で茶道部のデリバリーサービスでお抹茶をいただいた。
 その後、地元に住む知人の案内で昼食を摂りに出たが、ひなびた場所にある蕎麦屋でへぼ定食というのを食べた。へぼとは炊き込みご飯の中のジバチのことで、初体験だった。新蕎麦も実に美味かった。
 帰りも100kmのドライブは順調で、帰宅してからいつものコーヒータイムも楽しめた。
 就寝までに来週の、これまた今年最後の講義の準備をほぼ終えた。
 明日から短編小説の追い込みだ。

12月17日(日)「左顎の関節が悲鳴?・・・の風さん」
 10時過ぎまで寝ていた。1週間ぶりに私らしい睡眠をとることができた……と言いたいところだが、長時間寝ても変なことがあった。
 起床するずっと前に、左顎の痛みで目が覚めたのだ。しかも、これまで気にしていた筋肉の部分とは違っていた。左のこめかみと耳の間だった。刺すような切るような鋭い痛みで、思わず左手の指で押さえてしまった。どうやら関節らしい。
 もともと3つのタイプの合併症だと診断されていた。筋肉の痛みは、薬と自らの工夫(無意識に筋肉を使う動作を抑制すること)によって緩和されてきた。
 そこへ今朝の関節の痛みが出たとしても、驚くことではないのかもしれない。昨日は一昨日に続いて、講演をして多くの人と話もしてきたのだ。きっと関節を酷使したのに違いない。無理のできない体になっているのだ。
 起床は遅かったが、普段通りに一日を始めた。
 なので、当然、昼食はなくなった。
 夕方まで執筆へ向けてあれこれ頑張ったが、アイデアが浮かばない。走りながら考える式に書き始めてはいるのだが、アイデアが浮かばないと、やはり先へは進まないのだ。
 そうして午前零時になるころには、もう疲れ果てていた。幸い、左顎の関節のあたりの痛みは特に気にならなかった。しかし、今日は閉店にすることにした。

12月18日(月)「スランプ・・・の風さん」
 今朝も睡眠十分で起床。天気も上々。しかし、外出する余裕はまったくない。
 電気カミソリの刃を交換した。この間から音と振動が気になっていた。これまでにも交換の経験があるので、そろそろ寿命かと思い、外刃と内刃のセットを用意はしていた。交換してみたら、明らかに様子が変わった。音も振動も安定したのだ。
 階下へ降りてブランチ。たぶん昼食は抜き。
 いつもより早く執筆に取り掛かったが、相変わらずひらめきがないまま、とにかく進めて行く。
 途中で音楽を聴いてみたり、尊敬する先輩作家の本を読んでみたり、色々とやってみるが、ひらめきは起こらない。
 何なのだろう、この状態は。そうだ。スランプなのだ、きっと。
 ホットタイムは2度あったが、やはりランチはなし。
 夕食後、昨日からあえてやっていなかった雑務処理を集中的にやってみた。
 郵便物を3つこしらえた。名刺管理もした。返信していないメールをチェックしてみたら、重要なものがあったので、返信した。かなり身軽になった気分だが、ひらめきにはつながらなかった。

12月19日(火)「てごわいスランプ・・・の風さん」
 昨夜は雑務処理もして気分転換を試みた。今日はどうだろう。突破口が開けるだろうか。
 睡眠十分で起床し、とにかく執筆に取り掛かった。
 午後からちょっとだけ外出し、昨夜準備した郵便物を3つ投函してきた。
 今日も昼食は抜きで、夕方からは、明日の講義の準備もしっかりやっておいた。
 夕食後の執筆に取り組んだ。
 当初オフにする予定だった今日という一日も投入したが、ほんのわずかしか進まない。
 データはほとんどある。それらをうまく利用して、物語というか小さなドラマを構築しなければならないのだが、アイデアが浮かばないのだ。本当にスランプらしい。
 今年は無理に無理を重ねてきた結果、初めての腰痛、初めての十二指腸潰瘍、初めての顎関節と筋肉のトラブルを経験している。物理的な問題は仕方ないとして、ここにきて内面的な問題が出たのだろうか。

12月20日(水)「講義から墓参へ・・・の風さん」
 ぼやぼやしているうちに、また予定したスケジュールをこなすタイミングになってしまった。
 今日は、今年最後の非常勤講義である。
 昨夜も遅かったので、ギリギリに起きて、ホットミルクとみかんの朝食だけで出発。
 本山では先ずJPでスマートレターとレターパックの補充購入をし、それからランチ。キャンパスに着いて、通常の準備に加えて、今日の面白い新聞記事のコピーも用意した。談合摘発の記事で、課徴金減免制度のことが書かれてあったので、囚人のジレンマの事例として紹介するのだ。
 事前の準備ができていたこともあり、講義は早めに終えることができた。
 すぐに家路についた。地下鉄と電車とキャメロンを、予定通りに乗り継いだ。
 帰宅は4時半。日没直前で、すぐにワイフと墓参に行った。
 予定より数日遅れになってしまったので、供花は枯れていたが、墓域はそれほど汚れていなかった。水は冷たかったが、風もなく、この時期の墓参としては最高だったろう。
 帰宅してホットタイム。
 今日も昨日に続いて執筆に全精力を投入したが、ほんの少しずつ調子が戻って来るのを感じた。が、まだまだである。

12月21日(木)「愛工大でのけじめ・・・の風さん」
 今日は口腔外科受診の日だ。いつも患者が多くて待たされるので、早めに出発した。
 ところが、信じられないほど空いていて、まもなく呼ばれた(予約時刻よりも早い)。
 いくらか改善してきたのと、原因が少しわかってきたので、先生とのやりとりも早かった。現状の投薬を続けることになり、次回は約2か月後となった。
 この総合病院は院内薬局がないため、院外薬局へFAXを送ることになる。自宅から最も近い薬局を指定し、この後、直行した。ここでもスムーズに対応を受け、予想外に早く帰宅できた。
 執筆含めて少し仕事をし、インスタントラーメンを食べて、また出かけた。今度は電車。
 愛工大本山キャンパスで産学連携の一環で講演と交流会があった。
 2007年4月に社会人入学してから愛工大との縁が始まり、同時に私のビジネス分野の学問的な集大成事業も始まった。名商大のビジネススクールに通っているときも、愛工大に経営学部がある関係で、図書館の利用など縁が続いた。恩師である大野先生がお亡くなりになった後は、先生の講義を引き継ぐ形で恩返しを続けた。
 あれから11年目に突入していたのだが、小説家との両立が肉体的に無理になってきたと感じたこの1年だった。
 なので、愛工大の非常勤講師は今年度で卒業すると決めた。今日は、最後の仕上げの一環でもあった。
 交流会の後は、変わった組み合わせで、忘年会をした。愛工大の教授が2名、元デンソーの非常勤講師が私を含めて2名、ポスドクの中国人が1名、デンソーの現役でオーバードクターが1名である。
 1月に講義が3回残っているが、それで任務はすべて終了となる。

12月22日(金)「ワイフの冒険旅行・・・の風さん」
 上京するワイフを駅まで送るため早起きした。乗り換え方法など細かく説明したが、大丈夫だろうか。
 帰宅し、急いで雑務処理を終了させ、リハビリに出発した。今年はあと来週だけだな。来年ことはリハビリを卒業させねば。
 帰りにホームセンターで買い物をし、山越えで戻り、そのままGSへ。キャメロンの満タン給油と灯油の購入をした。キャメロンの給油は年内はこれで終了だろうが、灯油はあと1回だな。リハビリと同じだ。
 帰宅して灯油を1缶だけ屋外タンクへ補給。その後、ラーメンとみかんの昼食をして、また出発。往復2時間かけての歯科治療だ。これも今回で終了となる。次は半年後の健診。
 結局、5時、薄暮のころに帰宅。今日は冬至なので、これから日が長くなるのが楽しみだ。一方、寒さは増していくが。
 リハビリがあったにもかかわらず(昼寝もせずに)外出したので、珍しく空腹を感じてきた。
 早めに晩御飯を食べ、執筆を再開した。いい加減、もう決着をつけねばならない。
 10時半にワイフが帰ってきた。日本橋の三越で開催されているトールペインティングのイベントに出かけたのだ。いきなり行きの新幹線で臨席がアメリカ人だったそうで、神田で乗り換えに失敗するなど、大変な冒険旅行だったようだ(笑)。とは言え、東京ひとり旅はめったにないことなので、よくやったと思う。
 冒険談を聞いて、疲れた私は早く就寝した。明日こそ執筆に決着をつけねば。

12月23日(土)「原点に戻ったつもりが・・・の風さん」
 あまりにも進まない執筆なので、あらためてテーマについて考えてみた。歩きながら考える式がうまくいかないので、原点に戻ってみたのだ。
 何となく、やはりこれかな、というのが思い浮かぶが、イマイチ納得できない感覚が残る。
 短編を起承転結で書くことを心がけているわけではないが、いきなり結から書き始めてみた。
 どんどん書いて行って、違和感があったが、夕方になり、資料と見比べてみると、間違った展開になっていた。
 どうやらこのテーマでは話ができないみたいだ。
 だとすると、いったい何を書けばいいのだ。昨年から今回の分について、あれこれ考えながら楽しみにしていたのに。
 今年は超多忙な年だったと思う。3冊も出版したし、講演回数も18回だった。それ以外のことも、大ピンチが連続していたが、何とかクリアしてきた。体は相当に傷んだが。
 ここにきて、今年最後の大仕事が、これまでよりもずっと良い環境なのに、できないなんて……。
 原点に戻ったつもりが、これじゃ振り出しに戻ったようなものだ。

12月24日(日)「ゴールが見えない・・・の風さん」
 昔から年中行事にはあまり関係のない生活を送っていた。それが、子どもができてから、子どもに関係する行事は大切にしてきた。そして今、子どもらが家にいなくなると、またあまり関係のない日々を過ごしている。
 昨夜も就寝が遅かったので、起床が遅い。カーテンを開けると、あまり好い天気ではない。朝刊を見たら、夕方から雨の予報になっていた。外出の予定はないので、気にしない。既にワイフは実家へ出かけていなかった。
 超多忙の時に比べると、1日にやる雑務は10分の1くらいに減らしている。だから、執筆にはたっぷり時間をかけている。しかし、それがかえっていけないのだろうか。
 今日も昨日に続いて、書いていない部分を埋めて行く。文章は気にしない。
 そうやって、1日はあっという間に過ぎて行った。
 進んだとも言えるが、進んでいないとも言える。ゴールがまだ見えないからだ。
 こんなはずではなかった。徹夜しても意味がないので、また明日にかけて就寝。3時近くなってしまった。

12月25日(月)「終日花粉症で悩まされる・・・の風さん」
 昨日と似た1日が始まった。10時近い時刻に起床して、カーテンを開けると、昨夜の雨は上がったものの、冴えない曇り空。既にワイフは出かけた様子。昨日から不調の花粉症が早くも発症。
 とりあえず平然と行動開始。雑務も少しやってから書斎にこもった。
 寝ている間に、短編の構成を変更することにした。現状のままではテーマを固定できないくせに内容が多過ぎると判断したからだ。この内容というかネタを半減させて、短編と呼ぶにはややコンパクトなぐらいにスリム化できないか考えることにした。
 こうなるとヤマ場をどうするかである。これが決まらなければ、先へは進めない。
 今日も昼食は似たパターン。冷蔵庫の中にあるもので済ませた。10分とかからなかった。
 執筆というより資料のチェックをしていてつくづく思うことは、たくさん持っているなあ、ということ。情報がたっぷりあるということは安心で、あとは物語である、ドラマである。そのためには、発想つまりアイデアが必要だ。
 ワイフは行った先で食事して帰ることになったので、また昼食と同じパターンの食事にした。10分とかからなかった。
 花粉症は終日ひどく、これでかなり体力も消耗した。薬を飲めばよかったかも。明日は予防のために服用しよう。

12月26日(火)「体調はベスト・・・の風さん」
 執筆があまりにも進まないので、焦りを通り越して、少々腹が立ってきた。
 今朝は、気になっていた雑用を3つ片付けるべく、いつもより早起きして、キャメロンで出動。
 先ず、JPの分局へ行き、レターパックを投函した。その足で、産直の売店JF(ジョイフルファーム、今後JF)へ行き、今年何回目かの地元みかんの宅配を手配。世間では品不足でみかんが高騰しているらしい。
 今日こそ執筆に決着をつけるべく、先ず、抗ヒスタミン剤のカプセルを服用した。これで花粉症をねじ伏せる。副作用は体がだるくなって眠くなることだが、一か八かの賭けである。
 執筆は昨日の方針にしたがって、当初書こうと思っていた半分で止める方向で進めた。
 場面も4つで決定。問題は全体を貫く背骨というかテーマである。プレゼンテーションのように明々白々では芸にならないので、微妙なところでバランスがとれた納得のできる物語にしなければならないのだ。
 頭が硬直化しないように、何度も書斎と階下を往復するのだが、幸いにも花粉症がしっかりおさえられていて、副作用がほとんどないので、やけに体調が良い。トレーニングに行きたいくらいだった。
 一方、天気は下り坂で、風が出てきたし、気温も下がってきた。
 結局、ゴールにはたどり着けなかったが、就寝前に、ようやくひらめきがあった。ヒントをつかんだのだ。
 明日こそ、ゴールにたどり着けるだろう。

12月27日(水)「スランプ脱出・・・の風さん」
 昨夜から今朝にかけて強風が吹き荒れている。北国では当然雪だ。寒さが苦手の亡父は、秋田から仙台、福島と南下してきたが、当地まで来ることなく、寒い朝、心不全で死んだ。今は近くの墓の下。
 書斎で仕事をしているときの室温は20℃を目標にしている。かつて仙台にいたときの勉強部屋は10℃でOKにしていたのだから、この違いは何だろう。やはり年齢的な変化、つまり年取ったということなのかもしれない。
 9時起床。睡眠は十分。昨日の元気さが保たれている気がする。十二指腸潰瘍の薬もなくなったので、ギリギリで超多忙+スランプから抜け出せそうだ。
 午前中にサンルームから庭を眺めていたら、もう梅のつぼみが枝に出ているのに気が付いた。同時に、空から白い小さなつぶがふわふわと宙を舞い降りてくるのも目撃した。地面に到達すると同時に消える雪だった。あらためて、人間もこの自然の中で自然に振る舞って行かねばならないと思った。
 短編小説が、最後の1行に到達したのは、晩ご飯直前だった。やっと、である。これで、今夜中に原稿(第1稿)を送れる目途がついた。
 本来11月25日のパネルディスカッション終了が、短編小説執筆優先へのスタートだった。
 構想はだいたいできているつもりだった。しかし、なぜか思うように筆が進まなかった。
 12月に入って、10日に近畿和算ゼミで講演し、16日に岐阜大学フェアで講演し、20日の本山講義が今年最後の大仕事だった。この間も短編小説はずっと試行錯誤を続けていた。
 しかし、大スランプに陥ってしまった。
 昨夜のひらめきは、単なるひらめきのように普通の人は思うかもしれない。しかし、人間を書くという長谷川伸先生の教えに基づくひらめきであり、これがなければ、文芸作家としての付加価値はないのだ。
 午前零時過ぎに原稿を送った。あとは参考資料である。
 それでも就寝は午前3時過ぎになってしまった。

12月28日(木)「原稿と資料の第一次送付完了・・・の風さん」
 この冬最初の悪寒戦慄に襲われた。
 布団はちゃんとかぶっている。電気敷毛布ももちろんONだ。
 しかし、体に触れてみるとやや冷えている。確認用の体温計も近くにあるが、以前測った時、それほど低くなかったので、もう興味はない。とにかく寒い。震えながら、通り過ぎるのを待つが、ときどき体がこわばって、そのまま心臓も凍結したように停止してしまうのではないかと思う。父もきっとこんな状態で死んだのだろう。
 意図的に正午起床。
 原稿は送ったが、まだ終了ではない。私が約1か月遅れたために、イラストと編集の時間がそれだけ短縮されてしまったのだ。昨夜のうちにイラストのための参考資料(写真など)を送ったが、まだ不足している。
 イラストは親しい高山ケンタさんが描いてくれるのだが、早速着手してくれるというので、参考資料の追加送付をした。
 夕方、年末の墓参に行った。あまり日が空いていないので、供花も元気だったが交換し、墓石もきれいに拭き上げた。水が冷たかった。
 それからAEONに直行し、買い物をしてから、夕食も食べて帰宅した。スーパーが混雑するのは明日からだろう。
 夜、地図の作成に取り掛かった。これはかなり時間がかかる。
 何とか形ができたので、メール添付で送付した。
 就寝は午前5時。

12月29日(金)「長男と次女が帰省・・・の風さん」
 午前9時起床。今日は、今年最後のリハビリである。
 道路が混んでいる。いよいよ今年も押し詰まってきた。昨日で御用納めだった人も多かったのではないか。
 病院は空いていた。
 来年なるべく早い時期にリハビリも卒業したいとPTに宣言した。
 帰宅して、昼食代わりにフルーツケーキを食べて、再び外出。
 大型家電量販店とスーパーで買い物をするつもりだったが、何となく気合が入らず、チェックのみ。
 GSに寄って、灯油を購入するとともに、キャメロンを自動洗車した。
 洗車しながら、ボンネットの塗装が浮いているのを発見した。年が明けたら修理を予定しているが、全塗装が必要だろう。やれやれ。タイヤにスプレーワックスをかけたので、重々しい色で蘇った。
 送った原稿は年明けに印刷所に回すとのことだったので、その前に第二稿と作成した地図の改訂版を送ることにした。
 そのため、年賀状の作成と印刷、投函は明日に延期だ。
 11時前に次女が、11時過ぎに長男が帰省してきた。
 深夜のホットタイムで近況を語り合った。
 それから、また書斎にこもって作業の続き。
 午前零時過ぎに何とか第二稿と地図の改訂版を送付できた。これで短編の仕事が一段落である。
 続いて、年賀状作成の準備として、今年の送付先一覧表を作成し印刷した。
 就寝は午前3時。

12月30日(土)「焼肉満腹ダウン・・・の風さん」
 年賀状作りがまさかの30日になってしまった。今年は30日が土曜日で31日が日曜日だから、投函は遅くとも昨日29日の午後までに完了させたかった……が、できなかった。
 とは言え、毎年やっていることだから、手順は決まっている。
 送付先一覧表はできているので、デザイン決めである。創造的な作業ではあるが、売り物にするわけではないので、決断力だけである。シンプルな背景を選択し、今年出版した3冊の表紙を配置し、コメントを考えて……、あっという間にできた。
 数年前から実行している鳴海風・原嶋茂共通デザインである。
 この裏面印刷を先ず実行。200枚近いので、時間もかかるが、途中でインクカートリッジを3本交換した。
 続けて、宛名印刷だ。これもほぼ順調に終了。
 急いで、投函に出かけた。
 ポストから回収して郵便局へ走るバイクが多い。私はそのバイクの後を追って郵便局へ。
 郵便局の窓口は閉まっているので、ポストへ投函するのだが、今日の最終回収時刻は4時半だった。間に合った。
 4時に長女がフィアンセと帰省してくるので、ゆっくりと待つことができた。
 今夜は、焼肉パーティーを予定していた。出かけている次女を除いて5人だ。材料は上等の肉が大量に用意されていた。
 今年最後のパワーをつけようと、私も楽しみだった。
 ところが、本番の焼き肉が始まってまもなく、もうお腹いっぱい(笑)。胃袋の老化も進んでいるということか。
 それでも、デザートのケーキを欲張って食べたので、お腹いっぱいを通り越してしまった。
 宴がすべて終了した後も苦しくて、シャワーを浴びてベッドに倒れ込んだ。

12月31日(日)「今年を象徴する放電状態の大晦日・・・の風さん」
 朝(時刻不明)腹痛で目が覚めた。
 とりあえずトイレに行き、いくらか楽になった状態で、またベッドへ。ほとんど病人だった。
 とんでもない大晦日の始まり。
 絶対今日中にやらねば、ということは少なかったので、ゆっくりペースで活動開始。
 先ず、ワイフの年賀状作成の手伝い。朝食も昼食も抜き。
 これが夕方までに終わったが、投函は本人が行ったので、私は読みかけの本の続きを読むことにした。尊敬する吉村昭さんの課題図書になった作品で『虹の翼』、二宮忠八の話だ。かなりボリュームがある。児童書ではない。
 昨日、こちらも尊敬する伊藤桂一さんの課題図書になった『落日の戦場』を読了していた。これも児童書ではなく、終戦直前の沖縄戦の様子を描いた作品で、きわめて重たい作品だった。東日本大震災のときに「絆(きずな)」という言葉が流行したが、沖縄戦におけるこれも「絆」、作品では「つながり」という言葉が使われているが、それがテーマである。生死の境にいるときの、生きている人だけでなく、死んで行った人も含めての、それから戦闘員(軍人)と非戦闘員(民間人つまり沖縄の住民)の間の、さらには味方だけでなく敵(アメリカ人)との間の「つながり」も描かれていた。
 この『落日の戦場』が、今年29冊目の読了になった。昨年は50冊読了したので、いかに今年読書する時間がなかったかを示している。特に5月から10月まではった4冊しか読了できなかった。残りの6か月で25冊読んだことになる。来年はたくさん読むことが一つの目標になる。
 9時ころが我が家の晩御飯で年越し蕎麦だった。食後、胃腸薬服用。
 その後、だらだらと時間を過ごしているうちにカウントダウンになったらしいが、らしいと書いたことでも分かるように、特に何かしていたわけではなかった。ごく自然にというか、時の流れに身を任せて新年を迎えたという感じ。
 午前1時ころ、誰も見たいテレビがなくなったようなので、MacBookAirをテレビにつないでAmazonビデオの『テルマエU』を放映してやったら、けっこう皆楽しんでくれた。
 ちょっと先まで書いてしまったが、2017年の活動を総括しておこう。

【2017年の活動成果】
 
●出版
 『ひらけ蘭学のとびら』岩崎書店(2017年5月)
 『咸臨丸にかけた夢』くもん出版(2017年10月)
 『トヨタ流品質管理に学ぶ! はじめての変化点管理』 日刊工業新聞社(2017年11月)
   注)作家人生初めての年間3冊出版。そして、昨年出版した『円周率の謎を追う』が第63回青少年読書感想文全国コンクールの課題図書(中学校の部)に選定されたことは予想外の快挙だった。

●短編小説
 『恐山の山口和』(『数学文化』027)
 『星に魅せられた男』(『数学文化』028)

●読み物、エッセイ、随想ほか
 『これも女性の誘惑?』「日本推理作家協会報」平成29年7月号掲載。
 日本推理作家協会70周年記念エッセイ『推理作家謎友録』(角川文庫)にエッセイ「マルチわらじの十年」収録。
 日本独自の数学文化『江戸の「和算」は世界水準!?』「豊陵会中部支部報」2017年9月掲載。
 『失われた算額』「大衆文芸」2017年秋号

●講演、トーク、テレビ出演など 注)最初の番号は通算回数、原嶋茂の名前でおこなったものは姓名を明記。
132 ジュンク堂池袋本店 トークセッション(2017年1月21日)
 『謎だらけの数学者 関孝和の実像にせまる』
133 名古屋三蔵塾で講演(2017年2月18日)
 『今、出版界で起きていること、守りたい紙文化』
134 名商大MBAキャリアデザイン講義(2017年5月10日)
 『デンソーの歴史と新規事業』使用するケース:戦う相手はデンソー デンソー2004
135 くもん出版全社員会議PJで講演(2017年5月27日)
 『学び合いの今昔 歴史作家が語る江戸の師弟関係』
136 サロン・ド・オキュルスでトーク(2017年6月11日)
『千年残る本をめざして−『円周率の謎を追う』出版裏話−』
137 地元中学校で座談会(2017年7月10日)
『鳴海風先生 座談会』
138 クラブ関西午餐会で講演(2017年9月21日)
『江戸の数学文化 〜庶民レベルから関孝和の偉大さの理由まで〜』
 メロープラザ市民提案事業! 公開講座「より豊かに生きる」で午前と午後に講演(2017年9月24日)
139 歴史講座「江戸の天才数学者 関孝和とはどんな人だったのか? 彼の生き様から我々が学ぶことは?」
140 ビジネス初級講座「モノづくりの基本―QC(品質管理)編―」原嶋茂
141 ジュンク堂池袋本店でトークセッション(2017年10月7日)
『『解体新書』にかけた杉田玄白の熱情』
142 美浜町図書館主催座談会@水野屋敷(2017年10月15日)
143 日本能率協会主催「生産技術者ワークショップ」で講義(2017年10月20日)
問題提起『大河内賞を受賞した2つの事例に見る「生産技術開発のあり方」』原嶋茂
144 小野友五郎生誕200周年記念事業で講演(2017年10月22日)
『歴史作家・技術者から見た 小野友五郎と幕末明治維新』
145 秋田テレビ「みんなのニュース」に登場(2017年11月9日)
『鳴海風さんが角館で「和算」を取材』
146 技術士会主催の合同セミナーで講演とPDコーディネーター(2017年11月25日)
『技術者・歴史作家が語るイノベーションの本質』原嶋茂
147 第277回近畿和算ゼミで講演(2017年12月10日)
『和算小説家はつらいよ 〜今年をふりかえって〜』
148 日本能率協会主催「生産技術者ワークショップ」で講義(2017年12月15日)
問題提起『グローバル時代のCE(コンカレント・エンジニアリング)』原嶋茂
149 岐阜大学フェアで特別講義(2017年12月16日)
『江戸時代の数学「和算」の魅力』

●セミナー講師(半日以上のセミナーや講義を担当したもの)
  名商大キャリアデザインで講義「デンソーの歴史と新規事業」(5月10日)
  日刊工業新聞社主催「進化したコンカレント・エンジニアリング」(8月3日)
  JMA主催中堅リーダー養成コース1日目「技術者の仕事〜質を高める」(8月31日)
  秋田県南工業振興会主催「中堅リーダーのためのマネジメント能力向上セミナー」(9月6日)
  H社現場指導(11月6日)

●愛知工業大学大学院で非常勤講師
  前期:生産マネジメントシステム
  後期:オペレーションズ・リサーチ

●JMA主催生産技術者ワークショップでアドバイザー

2018年1月はここ(まだリンクしていません)

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